諫早市の商店街でリレートーク    
 08.04.13 更新 
            
  
4年前まで、故田中二三子さんが中心になって毎月やっていたリレートークを、佐賀地裁の干拓工事の中止命令を機に改めて復活させた。

諫早湾干拓事業について、将来に向けて悔いのない判断をするために、賛否を問わず市民レベルで意見を述べ合う機会を提供していきたい。

毎月第一日曜日、午後3時を定例とします。

08年5月から第二日曜日に変更します。

08年4月から新しいブログ・しおまねきのリレートークに掲載します。
引き続きご愛読ください。

桜満開・4月のトーク

4月のリレートークは桜満開でした。
アイスクリームのおばちゃんは、多分花の咲いてる所に行った。
ここポケットパークには、ただ風が吹いているだけ。
荒木、松田、高谷、たかむら、アカシ、おおしま、いつものメンバーが揃った。
ずいぶん暖かくなった。
干拓地の営農が始まった。
金子原二郎と谷川弥一が親戚とは知らんやった。
退職後はエコファーマーになるとやろう。
場所確保をして貰っているナカジさんの定休日が第1日曜日になったので、今後
しおまねきの定例会は第2日曜日に変更します。
来月は5月11日、午後3時です。


3月のリレートーク

今日、3月9日。桜にはまだ早い。それでも花のためには、恵みの雨。
しっかりと蕾を閉め、風を待つ。
やがて、開く時期が来る。
桜はウソをつかない。
高村先生は腰が痛い。
アンメルツ・ヨコヨコでもどうにもならない。
来月は4月6日。多分満開。


2008年1月6日


相手が巨大な権力と金を持っとるだけ、ヤリガイのある仕事ではある。
おまけに生態系ば破壊するけん、次から次にボロの出て来て、ネタには不自由せん。
バッター順は松田、高村、赤司、荒木、高谷そして大島。
キッチリ1時間をこなした。
「しゃろむ」が休みのため、4月のギロチン集会の打ち合わせを「カキュー」で。
来月2月は3日。時間を1時間繰り上げて2時から。
終了後3時から、4月の集会の実行委員会。


2007年12月2日

12月2日、恒例のリレートーク。
12月とはいえ、まだまだ暖かい。アイスクリームのオバちゃんが来ている。
アーケードの真ん中に、でっかいクリスマスツリーが置かれて、いよいよ歳末。
長崎地裁の公金支出差し止め判決を前にして、メンバーの声にも熱がこもる。
それ以上に、11月20日の諫早湾干拓事業完工式への憤りが、みんなの気持ち
を高ぶらせる。
湾外漁民、地域住民の悲惨な現状に目をそむけ、ホテルで祝杯をあげるオヤジど
もへの批判に終始した。
来年1月は第1日曜日、6日15時初トーク開始です。


2007年11月4日

定刻前に行ってみると、久し振りにポケットパークに人だかり。
高校生がアーケードを占拠している。
諌早商業高校の生徒が、街頭販売の実習をしている。
30分遅れで始まったが、メンツは中路、高村、松田、高谷、赤司、大島それに句会が終わって駆けつけた荒木を入れて7人。
干拓推進派のオジサンが、通りがかりにクレーム。
オジサン「あんた達、もう出来上がっとるとに、今さらどがんすっとね。今から堤防ば作るていうたら、また金のかかるとバイ。」

オニイサン「このままやったら、それ以上に金のかかると。永久にドブ池に札束放り込むつもりですか。」
来月は12月2日。アイスクリームのオバサンが、「今年は今日が最後。」






もう一人、リレートークに飛び入りの奇人変人を紹介する。
いきなり、「カンパーイ」とか言うて、何のこっちゃ。
結局、自分が諌早市民になったけん、ご挨拶のつもり。
写真ばご覧下さい。

リレートークの終わった後、彼のアジトを襲撃。
有事に備えて、畑、井戸、物置、周囲は田んぼ。
アトはシェルターば掘ること。

 


2007年10月7日

昨日、10月7日、2ヶ月ぶりのトークとなった。
友達から借りたBOSEのスピーカーを使ってみたが、野外でのトークはラッパ式の
やつの方が声が良く通る。
BOSEは、CDとテープがかけられるのがいい。
ハチマンさんとズザンヌの干潟の歌を流してみた。
来月は11月4日、15時です。


2007年8月5日

8月は5日にリレートークをした。
暑かバッテン、やらねばならぬ。
参院の逆転を受けて、荒木さんから「政治バ面白うしよう。」みんなが動けば展望が開ける。と元気の出る話があった。
絆創膏だらけの農水行政も、終わり。
アベ君はエライ。コイズミ君が出来なかった「自民党をぶっ壊す」を、黙ってやっている。

2007年7月1日

本格的な梅雨に入った。
雨も降ってもらわんば、川の水も無か。
調整池への流れ込みの無かったら、ますますドブのひどうなる。
人間がこの地球ば回しよる、という錯覚にハマっとる。
謙虚にならんばいかん。という話ばした。
ビラば配りよったら、「干拓のおかげで、雨の降っても田んぼの浸からんごとなった。」
という森山の百姓のオジさんが話しかけて来た。
参院選のマニフェストに、諫早湾が見当たらん。

2007年6月3日

梅雨前の、さわやかな風が吹き渡る。
新人アカシ ヤスユキが初登板。
ユウちゃん並の度胸と洗練された内容でスタンドを湧かせた。
彼のDNAは諌早。
初めてとは思われないナイスピッチングでした。
いずれ、大リーグへの道を歩くでしょう。
相変わらず人通りがイマイチ。
「水門を開けろ」というビラを受け取る人の反応はイロイロ。
「コレは、やらんばいかん。」と言われると、嬉しくなる。


2007年5月6日

5月は連休最終日、6日(日曜日)でした。
雨模様で、遊びに行けない子供たちがウロウロしていた。
4月の白浜慰霊祭に間に合わなかった黄色いハンカチを、ヒラヒラさせることに
した。ズザンネが京都に行った時に、友達の学生に描いてもらったもの。パラオ
の子供たちが、送ってくれたものなど。
時津さんが来て、中路さんも誘って久し振りに「しゃろむ」でダベリング。
荒木さんの現役時代のマル暴対決の話を本にしよう、という「結論」になった。
来月は6月3日。15時まで歯医者の団体のセレモニーがあるそうで、その後に
設定します。20分位から開始になるかも。
  


2007年4月1日

4月1日、リレートークに高村先生が帰って来た。
久し振りに、常連5人が揃った
一昨年の県知事選を前に、脳梗塞に倒れた先生は、1年余のリハビリで復活した。
マイクを握り、しっかりした声。
干拓地で生産されるジャガイモの価格は、今の市場では太刀打ちできない。と自
らの調査データーを基に披露した。
ノドが枯れて、長くは出来ないが、気力旺盛。

満開の桜も、雷と雨で見る人が無くもったいない。
来月は5月6日、第1日曜日。



2007年3月4日

 今日のツラは常連。
ぬくうなったけん、ソフトクリームのオバちゃんの顔も見えた。
4月の集会に向けての、ビラ配りと黄色いハンカチのメッセージも同時進行。
松田さんが手作りの桜餅ば持ってきた。5人で食べた。うまかった。
アカシさんが来ている途中とは、ツユ知らず、4時ピッタリに散会した。
眼鏡橋に赤いヒカン桜が満開やった。
来月は4月1日。エイプリル・フール。
ホラ吹きの「センセイ達」にも集まってもらおう


2006年12月3日

木枯らしが吹きぬけるアーケード。
地方都市の商店街はどこも同じ、シャッターの下りた店が目立つ。
イルミネーションとジングルベルの喧騒は、よその世界の出来事。
アイスクリームのオバちゃんも来ない。
ポケットパークに舞台が出来た。
オイ達のために、そがんまでせんでも。
早トチリやった。
地元のアマチュアバンドが交代で、賑あわせに毎週土曜日生出演。
商店街も、生き残りを賭けて大変。
干潟も生き残らんば。
正月は7日15時に初仕事。



2006年11月12日

大臣が2,500億円、県知事が53億円、県職員も負けんごとオイたちの税金ばゴルフでムダ使い。
聴衆は5〜6人。
中路時計屋さんの横が、ちょうど陽の当たって、椅子ば引っ張っていって、ひなたぼっこのオジサン達。
ソフトクリームのオバさんは、場所の決められとるので、アーケードの下。
お客は中学生の女の子が二人。もう寒かけん買う人はおらん。
幼稚園の子が書いた絵が、ズラリと展示してある。
この子たちが大人になった時、諫早湾はどげんなっとるやろか。
あの世から、眺められるものなら、眺めてみたい。
来月はもう師走。
12月第1日曜日、3日15時です。
寒かバッテン、やるぞー。



2006年10月1日

ポケットパークでは、赤い羽根共同募金をやっていた。ボーイスカウトを動員して丁度3時で終了。私達が引き続き松田さんと二人でデユエット。
この子たちが、今の大人が残した借金を払わなければならない。さらに、年金を払って老後も見てやらんばいかん。
おまけに共同募金などと、大人のいいなりになって、使われて。
今の世の中、ワルのやりたい放題。
さて、来月11月は連休を避けて第2日曜日、12日15時とします


2006年9月3日

トークの参加は、荒木英雄、松田恵子と大島。

置いてあるイスに座って、最後までジックリ聞いて、静かに立ち去る
人が二人。
アイスクリームを売るオバちゃんは常連です。
「暑かとがヨカばってん、涼しゅうなったねー。」

松田さんから、クリームばオゴッテもらいました。


2006年8月6日

ナガサキは61回目の暑い夏。
イサハヤは9回目。
何年たっても、ヒトの気持ちは変わらない。
ムツゴロウもシオマネキも生きている。
いつも目の前で聞いてくれているので、オバちゃんのアイスクリームを買った。

次回は9月3日(日)、午後3時。
ナカジさんのお世話で設定できました。



2006年7月2日

荒木さんが久し振り、と言って30分しゃべる。
途中、70前後のオヤジが来て、「やかましか。やめろ。」
眼が据わっている。タバコをやたら、ふかす。他の言葉が出ない。
久し振りの休みに、焼酎飲んで来たか。
アーケードの人通りが確実に増えた。
近くに出来たショッピングセンター「アエルいさはや」の開店効果。
行き交う人たちの反応もいい。
笑顔、スマイル、会釈、うなずき。それに控えめな拍手の人が一人。

2006年6月11日

昨日はトークが一人でリレーにならず、早めに切り上げた。
中路さんから「もう、終わるとね」と言われたバッテン、1時間しゃべるとは、チョットきつか。
ショッピングセンター「アエルいさはや」が近くにオープンして、人通りが多くなったと、中路さんがよろこんでいた。


2006年5月7日
連休最後の日、公園はツツジが満開。
暖かくなって街頭でのおしゃべりも、ずいぶん楽になった。
荒木さんから、先日の佐賀地裁での意見陳述の再演があった。
諌早市民の川・本明川が死にかけている。
河口がギロチンで閉め切られ、上流はダムの計画が進行している。
すでにウナギはいなくなった。
人間だけが生き延びて、他の生物がいない地球。
今の大人は、とても賢明とは言えない選択をしている。



2006年4月2日
桜が咲き、新学期が始まる。
常連の松田恵子、高谷記史、荒木英雄と大島弘三。
4月15日の諌早集会のビラを配る。
春休みで子ども達が多い。
君達には破壊された諌早湾と有明海、莫大な借金を残し、さらに「調整池のドブさらい」という公共事業をしてもらう。
政治家と農水省のお役人は、ノホホンと年金暮らし。


2006年3月12日
今年の冬は、特別に寒か日に当たるごた。
ちょうど、川の上になるので、風のヒューと吹き抜けて、たてかけとる写真ば吹
き飛ばす。小柄な松田恵子さんは、飛ばされそう。
誰か知らないオバチャンが、私の手に持っていたビラを黙ってもらって、少し離
れた店の前で配り始めた。アリガトウ。
中尾勘悟さんと岩永勝敏さんが通りかかりました。上映会のビラ持って、宣伝活
動の途中です。


2006年1月8日
三が日は過ぎた。今日は諌早市の成人式と重なった。
それにしても、アーケードは風だけが走り抜ける。
早目に終わろうか、と松田さんと話している所に山口八郎さんが通りかかりまし
た。
ラスト10分間、キッチリと干潟、水神さまなど、無形文化財なみの話をしてく
れました。
会の名前を「しおまねきの会」として、新しい年とともに旅たちます。

         


2005年12月18日
冷たい風がアーケードを吹き抜ける。
手がかじかむ。
八幡さんがかけつける。
ハーモニカとギターで吹き飛ばす。
子ども達が歩きながら、照れくさそうにさりげなく声援する。
「ありがとう。」
君達に借金と破壊された諌早湾を渡すのは、しのびない。

        


2005年11月27日
「干拓地が売れない。」
長崎県は干拓造成地を公社が買い上げ、希望者に「リース」で貸し出す方針を明らかにした。
当初、アンケートでは「3倍の希望者がいる。」と言っていた。
農家は造成地での営農に不安がある。
補助と助成金漬けの「優良農地」が出現する。
高谷さんから、堤防の耐震強度が問題提起された。
関東では、設計で意図的にマンションの鉄筋を少なくしたために、地震で倒れる可能性が指摘されている。
諫早湾の潮受け堤防は、震度5までしか耐えられない。
軟弱なガタの上の道路と排水門。
いずれも、誰も責任をとらない。
来年2月、長崎県知事選挙がある。
立候補を表明した、常連の高村あきら先生が今回のトークのハイライト。
干拓工事の見直しを主張し、金子県政との対決の姿勢を明確にした。

    


2005年10月2日

台風の接近などで、3ヶ月ぶりのトークショーーとなった。
最高裁が、佐賀地裁が出した工事停止の仮処分を棄却するという、ショッキングなニュースがあった。
トークはこの点に集中し、熱のこもった意見が続いた。
倒産した近くのスーパーの建物を解体する騒音と共に、商店街の人影も、いつもより少なく感じた。
長崎の有効求人倍率が0.6と昨年を下回った。
景気浮揚対策の公共工事に税金をつぎ込んでも、目先の仕事にもありつけない。

               


2005年7月3日

久し振りにメンツが勢揃い。
八幡さんの歌にも熱がこもる。
来月は8月7日。

   

  



2005年6月12日

オシャベリは大島が一人。
立川、山崎夫妻、中路が応援、兼サクラ。
写真は山崎さん提供。








2005年5月8日

前諫早市議会議員の福岡さんが参加。
「よみがえれ!有明海訴訟」の署名も同時にやりました。

   



2004年11月14日

今回、新しく3名の参加がありました。

       





2004・10・10

 今回のパフォーマンスに参加したのは、松田、中路、八幡、高谷夫妻、立川と当サイトの管理者大島の7名。

 松田さんは以前から田中さんとリレートークに参加していた。むつごろう裁判の原告。

 中路さんは商店街の時計屋さんで、「諫早湾干拓事業に疑問があります」と看板を掲げて毎朝国道に立っています。

 八幡さんは自作の「諫早干潟の歌」を披露して、盛り上げてくれました。


   


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