2011.04.24 更新

環境行政改革フォーラム 2011年度総会・発表会

            対決から対話へ

 

大島弘三(諫早湾しおまねきの会)

2010年12月6日福岡高等裁判所は「潮受堤防の閉め切りと漁業被害との間の因果関係」を認め、3年間の猶予の後、5年間の常時開放を命じた。

この間長崎県知事は住民の世論を巧みに誘導し、自らの施策を思いのままに実行しようと画策していた。

県議会、市議会さらに民主党の国会議員までもがこれに同調し、メディアの報道もあって長崎では「開門したら大変」という世論が形成されている。

諫早湾では、当初から漁民との対決と金での決着、住民不在の密室取引など、不透明な経過が現在まで対立を引きずって来た。

今こそ、民主主義の原点に立ち返り、みんなでテーブルにつく、という決断が求められている。

(文章内敬称略)

 


1.「よみがえれ!有明」裁判の経過

 

1-1 佐賀地裁・福岡高裁の判断

2002年11月26日

原告2,533人(漁民1,357人、市民1,176人)が国を相手に堤防の撤去と排水門の開放を求めた。

2008年6月27日

干拓工事による諫早湾内への漁業被害を認める。

3年間の猶予の後、5年間の排水門の開放を命令。

2008年7月10日

国が福岡高裁へ控訴

2010年12月6日

高裁が地裁の判断を支持。

2010年12月20日

国が控訴せず、5年間の常時開門が確定。

  

  2010.12.06 福岡高裁(撮影:時津良治)

 

1-2長崎県知事の抵抗

 従来から開門調査に異を唱えて来た中村法道長崎県知事は、菅直人首相の「控訴しない」という判断に反発。鹿野農水大臣が「長崎に説明に伺う」という要請を断る。

県議会では圧倒的多数の賛同を得て、開門反対決議をし、議場の中で鉢巻を締め「上告セヨー」と拳を挙げてシュプレヒコールするという異常さであった。

 

2010.12.20 NHKテレビの報道より

 

さらに地元諫早市では、関係者を動員しての「開門絶対反対、上告せよ」の決起集会を開催した。

 

1-3長崎県選出国会議員の対応

 県選出国会議員は衆議院に高木義明、福田衣里子、山田正彦、宮島大典(いずれも民主党)。参議院に大久保潔重(民主党)、西岡武夫(議長のため民主党離脱)と前知事の金子原二郎(自民党)

民主党長崎県連は従来から干拓工事推進であり、その流れで開門調査に反対。民主党中央と逆の立場を通し、中央との「ネジレ」を演じてきた。

西岡武夫の父親は1952年に諫早湾の干拓を言い出した当時の長崎県知事であり、金子原二郎の父親は1983年に中断した事業を再開した当時の農林大臣である。

この二人は親の因果もあり「今さら干拓地をいじくって欲しくない。」というのが本音であろう。

しかし他の長崎県選出国会議員に開門調査に反対する確たる理由、信念は聞かれない。

「地元への説明無しに、菅首相が独断で上告断念を決めた。」というのが彼らの言い分の最小公約数。さらに「住民の不安と怒りを解消せぬまま、開門に向けての話し合いの場は持てるはずもありません。(中略)裁判という形をとらないと国が決めたのならば、開門賛成、反対双方が、住民の生命と財産を危険にさらすことなく、有明海を再生させる為に、どうすることが一番いいのかを話しあう場を作ることが政治の役割でもあるように感じています。2011123日福田えりこブログhttp://blog.livedoor.jp/ennriko555/archives/2011-01.html#20110123)と述べている。

 

住民が怒っているのはなぜか。

1.      今まで住民による話し合いの場を持たなかった。

2.      長崎県知事、諫早市長は「開門反対説明会」や県政だより、ホームページや干拓地の掲示板などを利用して、一方的に開門反対の世論を作ってきた。

3.      「裁判するなら、いくらでも応援する。」など住民を煽って、自らの主張を代行させる。

首長は住民にとって絶対的な存在であり、決して間違ったことはしない。というのが地方の伝統的な神話である。

「オレ達の生命と財産を守るために、開門絶対反対」と親分が叫べば、子分達もハチマキを締めて拳を突き上げる。

住民を炊きつけて世論を喚起し、権力者が思い通りに事を運んだ歴史は世界の各地に存在する。

権力者に逆らわない、逆らえない。あるいは媚びへつらい、さらに本人が意識しないで巻き込まれている。それが諫早湾に関する長崎の政界、メディアと踊らされている住民の実態である。

 

2.市民、漁民の怒り

2-1市民の署名活動

怒っているのは「踊る市民」だけでは無い。鎖国を続ける首長に業を煮やして、諫早市民が立ち上がり、開門を求めて市民への呼びかけをして二つの署名活動が展開された。

一つは「よみがえれ有明訴訟を支援する会」が全国の支援者、協力団体に呼び掛けて、長崎県知事に開門調査を求めたもの。

2009年10月に始め、3月の県知事選挙で当選した中村新知事に27,442筆の署名簿を提出した。

もう一つは「諫早湾干拓開門調査を求める諫早市民の会」が2010年11月に開始し、2011年7月13日11,685筆の市民による署名簿を宮本諫早市長に提出した。

  

    署名を渡す山口代表と受取る市長

     2011.07.13 諫早市役所

 

2-2市民による学習、啓発

市民団体、研究者などにより、有明海と諫早湾への関心の盛り上がりを受けて、いくつかの集会が諫早市で開催された。

2010.03.13 諫早湾調整池の真実 熊本保健科学大学 高橋 徹教授

2010.04.10 シンポ「急ごう!干潟救出と開門調査」 鹿児島大学 佐藤正典教授ほか

2010.06.29 調整池水質の変遷 長崎県環境保健研究センター 石崎修造研究員ほか

2010.07.24 事実に即して長崎県のデマ宣伝を斬る 熊本県立大学 堤 裕昭教授ほか

2010.10.23 有明海でなぜ大規模な赤潮・貧酸素水が起きるのか? 熊本県立大学 堤 裕昭教授

2010.11.27 シンポ「有明海の特異な生物相」

鹿児島大学 佐藤正典教授ほか

2011.03.06 排水門、開けたらどうなるシュミレーション 九州大学 経塚雄策教授

 

 この1年間だけで7回の学習の機会があったことになる。主催は市民団体であり、研究者(大学の先生方)であり、いずれも諫早湾あるいは有明海をターゲットにしている。現状を憂い、打開の道を探るべく、それぞれの立場からの真摯な思いから企画され、調査研究されたものである。

 11月27日のシンポには韓国順天市の観光局長が出席し「干潟保全の公約で若い弁護士が市長に立候補、当選した。今は年間300万人の観光客で賑わっている。イサハヤも必ずその時が来る。」との連帯の挨拶をいただいた。

 

 ただ一つ残念な事は、これらの会に参加されるのはいわゆる「開門派」が多数で、「開門反対」の方々への情報伝達は新聞報道に限られ、たとえ知ったとしても出席される勇気ある行動には結び付かない。

 

2-3漁民の怒り

 2009年8月の総選挙での政権交代を機に、「排水門開門」が現実のものとなりつつある、という認識は市民にもあった。とりわけ有明海の漁民にとっては、長年の夢を叶えようという期待に燃える毎日であった。

 しかし、政権の内部基盤のもろさが政策決定の過程でも響き、八ツ場ダム、普天間基地、それに諫早湾と現地からの反発をモロに受ける事態となっている。

 与党の諫早干拓検討委員会が現地調査、赤松農水大臣が諫早に来て関係者との懇談会という一連の流れは決断の時期到来が予感された。これを受け大臣への支援と開門判断へのアピールを込めて有明海沿岸の4県漁民による海上パレードを実施した。

   

北部排水門に集結した漁民たち 

2010.05.18 諫早湾

 

4.        閉塞打破の道

いつの間にか袋小路に入り込んでしまった。

一昨年の総選挙で政権交代が実現した時に、このような事態になるとは予想もしなかった。開門が目の前に現実のものになる希望があった。

さらに福岡高裁の判決と上告せず、確定という所までは順調であった。

 結果として、現状では我々のシナリオ通りに事が運ばなかったことには、それなりの理由があるのかも知れない。これからの展望も全く予測がつかない。

 長崎県民と諫早市民が選んだ長崎県選出国会議員、長崎県知事、長崎県議会議員、諫早市長、諫早市議会議員など、首長と政治家がことごとく開門調査反対を唱えている地元の現状は異常である。諫早湾と有明海、そして新たに出来た干拓農地のいずれもが共存出来る道を模索していきたい。その過程の中で私達はみんなの心を少しずつでも解きほぐし、「もやいなおし」に繋ぐ努力を続けていかなければならない。

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以下に発表会の草稿を掲載します。
発表会は2011年3月に予定されていましたが、地震のため中止となりました。